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札幌ビエンナーレ・プレ企画 実行委員インタビュー008
沼山 良明(ぬまやま・よしあき)

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札幌ビエンナーレ・プレ企画
実行委員インタビュー008

実行委員:沼山 良明(ぬまやま・よしあき)


札幌初の国際的な芸術祭「札幌ビエンナーレ」を2014年開催実現のために有志による「札幌ビエンナーレ・プレ企画実行委員会」が結成され、第一弾として、今年4月に北海道立近代美術館で9日間(4/2-4/10)展覧会が開催された。道内にてNMAという名義で、28年間前衛的な音楽のライブをプロデュースしてきた沼山良明。札幌ピエンナーレ・プレでは音楽系企画の実行委員として活躍した。NMAとしての活動のキッカケから、その内容、行政と音楽活動のかかわりあい、そして札幌ビエンナーレ・プレとお話を聞いた。

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『私は楽しいことや豊かな生き方はすべて人のつながりから生まれると思います。行政も、アーティストもプロデューサーも、もっと人としてつながれば豊かな表現活動ができんじゃないかな』Interview with Yoshiaki Numayama

NMAのはじまり

私は実行委員として音楽関係のプロデュースを行っています。個人では本業の傍らNMAという名義で北海道にて28年間、前衛的な音楽をライブを通して紹介する活動をしています。そのあたりのキッカケ、活動をしながら考えたこと、札幌ビエンナーレ・プレについてお話しようと思います。

学生のころから音楽が好きでロックのコピーバンドをやっていました。その後調律学校を卒業してピアノの調律師になりました。仕事をしていて考えたのは音楽で食わせてもらっているんだから、なにか音楽で社会にお返しができないかな、と思いました。それで最初はクラシックのピアニストやジャズのコンサート企画などを始めました。

それが、今のNMA(Now Music Arts)名義で前衛音楽のライブを企画するようになったキッカケは、副島輝人さんとの出会いによります。この方は前衛ジャズシーンでは世界的な音楽評論家・プロデューサーで、ドイツの「メールス・ニュー・ジャズ・フェスティバル」に行って取材してきて、撮影した8ミリ映画を全国行脚し上映会をしていたのです。札幌では「アクト」というジャズ喫茶で上映会をやっていて、そこで副島さんと知り合いました。上映会を観たら自分でも行きたくなって、83年に副島さんと一緒にそのフェスに行ってみたのです。

「メールス・ニュー・ジャズ・フェスティバル」は世界中の新しいジャズを紹介する音楽祭です。このフェスはもともとは個人の企画でスタートしたのですが、2年目から開催地のメールス市から資金を出してもらっているそうです。フェスは8千人くらい入るサーカスのテントで昼から夜まで4日間行われます。メインステージのほかに実験的なライブをやる小屋もあります。

このフェスで、ジョン・ゾーン、アート・リンゼイ、ビル・ラズウェルといった、当時ではまったく日本では知られてない素晴らしいミュージシャンが出演すると、むこうのお客さんはみんな彼らを知っていて、ワーッ!となるんです。それを見て日本でなぜこんな凄い人たちが紹介されないのかな、と疑問に思いました。それがNMAをはじめたキッカケになっています。

83年から副島さんや、知り合いのミュージシャンを通じて前衛音楽のライブを年に5~6回企画をはじめました。私がミュージシャンを選ぶ基準は、お客さんに新しい表現を紹介できるか、という点です。そのミュージシャンと知り合いだとが親しいとかでは決めない。そこはシビアに判断していく。去年、この人に来てもらったから来年も同じ人で、という決め方はしない。同じ人でも次回はお客さんに違う表現をみせてくれるなら、おねがいするでしょうね。

● 単独のライブから「ナウミュージックフェスティバル」へ。

そして、発展させた形として1986年から「ナウミュージックフェスティバル」という複数のミュージシャンが登場するフェス形式のライブ企画をやることにしました。その理由は今までの単独の企画だと、お客さんが「これは知らないから、行かない」という感じ勝手に判断されてしまう。でも、フェス形式で56組のライブをやれば、違ったタイプの音楽を一度に聴けるから「この音楽は知らなかったけど、いいな」と気がつく人もいる。そうやってNMAのファンを増やしたい、と考えました。

会場は大谷会館や道新ホール、札幌芸術の森ができてからは、素晴らしい環境なのでそこでやっていました。2日間ぐらいの日程で、1日目にゲストを招いたワークショップやレクチャーもやりました。フェス形式にして、今までと違う手応えは感じたし、NMAのファンも増えたと思う。出演した東京のミュージシャンが「これが札幌で、できるのになぜ東京でできないんだ」と感じてくれて東京、神戸と連携で2年くらいやっこともありました。

でも、フェスは正直赤字でしたね。赤字を出してそれを返して、またフェスをやるという感じです。フェスをやってると税務署の人も来るんですよね。どれだけ儲かっているかと勘違いして。毎回赤字だと知ってびっくりして聞かれます「なぜ、儲からないことをやるんですか?」ってね。僕は「別に赤字にしたくてやっている訳じゃない、トントンでいいから、という思いでやってる。現実はそうはいかない、だから赤字が出てるんだ」と説明する。でも納得してくれない。最後に「男には赤字になるとわかっていても、やらなきゃならないことがあるんだよ」といいましたね(笑)。

96年くらいにいよいよ資金繰りがダメで次のフェスは無理かな~と思った時に、 東京の知人から「オマエの活動に100万出してもいい、という人がいるから会うか?」という連絡があって、行きましたね東京(笑)。帝国ホテルのロビーで、女性の方に100万円いただきました。それで97年は開催できたのですが、それ以降はフェスという形では頓挫しいます。ライブの企画自体は定期的にやってます。

●行政とのかかわりについて

私は行政が音楽や芸術にお金を出す場合は、プロデューサーの「人」としての技量を見極めて、信頼関係ができたらすべてまかせる、というスタイルをとって欲しいと思う。今の日本では、行政がお金を出す場合は行政自体に悪影響を及ばさない予防策のためか制約や取り決めが多くてプロデューサーの自由な発想で企画を進めることができない。申請自体も面倒だと思う。そういった細かい部分は、お金を受け取るプロデューサーを信頼できればまったく不要だと思う。

日本ではまだ人ではなくて肩書きや状況でしか判断していないと感じる。ヨーロッパの行政のほうが、生まれた時からアートや音楽にいろいろ触れる機会が多いため、人を信じて行政が協力をしている。だから、最初にお話した「メールス・ニュー・ジャズ・フェスティバル」も、メーレス市はお金だすけど、口は出さないそうです。それはプロデューサーを信じているからなんです。

ヨーロッパのちいさな町に日本のミュージャンがツアーをすると、そこにはたしかなプロデューサーがいる。その人は行政から信頼されてサポートを受けている。そういう町がたくさんあるから、しっかりとしたツアーができる。立派なコンサート設備があるとか、ないとかではないんですよ。一番大切なのは人。北海道なら釧路のthis isの小林さん、 苫小牧ならアミダ様の田中ツルさんたちのような熱い人がいればライブはできるんです。行政の人にもっとアートに興味や関心があれば、もっと変わっていくとは思いますね。

●札幌ビエンナーレ・プレ

札幌ビエンナーレ・プレ協力のお話をいただいて、個人ではできないことが、できるかもしれないと思いました。大友良英水戸芸術館「アンサンブルズ」展(昨年秋から今年1月)をやるのを見て、美術館で実験的な音の展示(サウンドインスタレーション)やライブパフォーマンスをやることに興味があった。それに札幌という都市ではひとつのジャンルだけに絞って集客するのは難しい。ビエンナーレ・プレのアートあり、音楽あり、パフォーマンスありといういろいろな表現を集めるのは、多くのお客さんが来る可能性が広がって、素晴らしい思います。

私は楽しいことや豊かな生き方はすべて人のつながりから生まれると思います。行政も、アーティストもプロデューサーも、もっと人としてつながれば豊かな表現活動ができるんじゃないかな。

Text&Photo by Shinichi Ishikawa (NUMERO DEUX)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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