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仕事の字間 第06回「お昼の実験(前編)」

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Sigo

第06回
お昼の実験」(2013.2.24)

「仕事の」… 僕の考える仕事とは、報酬に関係なくなにかを成し遂げること。そして、人生は「ちいさな仕事」の積み重ね。そんなことを考えながら、おおくりするコラムです。




最近、自分の財布を目にしていない。そのキッカケは、冬のまっただ午前4:30ころ、朝食の準備をしていた時だった(まず準備。食べるのは7時前後)。好きなポッドキャストの番組を聴きながらの20分程度の自炊行為。家事であり、気分転換の好きな時間だ。自然光もなく、薄暗い静かなキッチンは僕の精神のたまらなく安定させる。

おいしいピザ用のナチュラルチーズが手に入ったので、ピザトーストでも作ろうかと思いつく。最近、しみじみ思うのはチーズの重要性だ。これにケチってはいけない。これには真理がある。さて、じゃあ朝ピザトーストか、といつものルーチンの思想に入っていたら、ふとサンドイッチもいいよね、と思った。

サンドイッチ、というイメージから浮かんだのは、アメリカの学生のお昼。ベンチで食べる光景。僕はアメリカには行ったことはないけど、よく映画で学生のお昼のランチは、家からサンドイッチ果物、というイメージだよね、と思った。スヌーピーのチャーリーブラウンや親友ライナスがならんで食べる感じ。では、朝食はサンドイッチにしようか、と思った。いや、まてと僕の頭は、お昼ごはんに飛ぶ。もはや、ポッドキャストの内容は頭によく入らない。

僕のお昼ごはんは基本は外食であった。しかし、正直、外食には飽きていた。僕の仕事はデスクワークで、仕事中の外食というとひどく限られたものになる。お昼休みで入手できる範囲限定、加えて毎日のことだからお金もかけられるものでもない。僕はヤンエグではないから。ヤングでもなく、エグゼクティブでもない。どちらかは欲しい気もするけど…。すると、決まりきったメニューとなる。出入り業者の弁当か、コンビニエンスストアか、そのワンパターンぶりに飽きてはいたのだが、完全に惰性で食べていた。機械的に。「マン・マシーン」である。テクノは好きだが、テクノな食生活は無理かもしれない。

そんな、状況のなかでふと自作サンドイッチでお昼というアイディア。神よりの提示である。いい予感がして実行してみることにした。では、朝食をどうするか、玄米シリアルがあるので、それに青汁の粉末をかけて、それにプルーン入りのヨーグルト、あと毎日飲む、低速ミキサーで作るニンジンとリンゴの小松菜、レモンのジュースでいいやと思った。液体な感じな朝ごはんだけどね。

さて、お昼ごはんの実験に移ろう。冷凍している朝食用の食パンを取り出して、そのままオーブントースターで加熱して、軽くトーストする。解凍はしなくていいのは実証済み。その間、冷蔵庫を眺める。僕は冷蔵庫を見るのが好きだ。その次に好きなのが、食料ストッカーの6つの引き出しをあけること。冷蔵庫からバターを取り出し、必要分とって、レンジで10秒程度入れて溶かし、パンに塗りやすくする。実家からもらってきたハムが目に入る。これはいい、あとタマゴがある。

少々面倒だが、ゆで卵を作ろう。あとタマネギ。今回の材料はこんなところでいいだろう。ミルクパンでゆで卵を作ることにする…6分加熱。その間、ハムを薄切りにして、タマネギをスライスして、水通しをしていく。粒入りマスタードもあって良かった。これはいい予感。ゆで卵ができたら、それを刻んでマヨネーズとコショウで味付けをする。タマゴ2個分を作ったみたら相当できた。これなら3回分ぐらいになりそうだ。良かった。ゆでたまご作業に時間がかかった。

さて、材料はそろった。後は挟むだけだ。食パンに、バターを塗り、マスタードも塗る。ハムとその上にゆで卵の具材と、そして最後にタマネギ。タマネギ余った、これもあと2回分はいけそう。そして、もうひとつのパンでサンドする。これで完成。ゆでタマゴの作業がなければ10分もかからない。次回はタマゴはあまりがあるので次回は素早くできそうだ。

僕の自炊の旅は長くなりそうなので……次回後編に続きます。

ただし、この話は大きなオチがある訳ではありません。
お昼用にサンドイッチ作って良かったなー話です。

 

文と写真 石川 伸一(NUMERO DEUX)

 

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仕事の字間 第05回「恐怖の気分返還」

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Sigo

第05回
「恐怖の気分返還」(2013.2.18)

「仕事の」… 僕の考える仕事とは、報酬に関係なくなにかを成し遂げること。そして、人生は「ちいさな仕事」の積み重ね。そんなことを考えながら、おおくりするコラムです。





自宅の駐車場。雪で車が埋まった時、とても明るい気分にはなれませんが、あんまりそういう時は考え込まないで、できるだけ暖かい作業のできる格好をして、除雪に取り組むのがいいようです。しなければならないことに淡々と取り組むのは美しいですね。

さて、今回は前回の「捨てる」のテーマを今回もやりたいと思った。でも、とりあえずやめときました。「捨てる」は僕にとって、極めて重大なコトでして、2回連続で書いてもとても終わるものでもありません。多分これから繰り返し、語っていくことでしょう。先は長いですから。

一息ついて、今回は別テーマ。でも、実は結局は「捨てる」というところに関係してく可能はありえます。それだけ「捨てる」というテーマは深い。結局、生き方というものは、「なにかを選んで」「なにかを捨てる」という連続だと思います。「捨てる」というもはモノだけではありません。自分の心の中になにかを「捨てる」ことも大事なのです。

という訳で「捨てる」は少しよそに寝かしておいて、今回のテーマは「気分転換」。これはホント恐ろしいことです。まず、考えないといけないのが、「気分転換の成功」という大問題です。

気分転換は「転換が成功」してはじめて意味を持ちます。成功があれば必ず失敗がある訳です。「失敗した気分転換」というのは最悪です。仕事等の進行を止めて、やってみたのに結局、時間のムダになってしまう訳ですから。

ムダにも意味がある、なんて考えてはいけません。ムダなものはムダなのです。「ムダから生まれた」なんてエピソードが時々披露されますが、結局それはムダではなかったのですからムダではないのです。随分、僕はムダという言葉を使ってしまって、ここにムダが発生しています。でも、僕はあえてデリートキーを押さない気分です。それだけムダのムダは主張しておきたい。

覚悟のうえ真剣に気分転換しなければ。ということです。タバコは健康に悪いらいしですが、それでも吸うのはひとつの覚悟があるかもしれないです。僕はそう思います。

そして、気分転換とは、正確には気分「返還」だと思うのですよね。人は基本的に正常な思想や思考を持っています。性善説(僕の考える性善説は性悪を常識によって性善に持っていること)に基づいて、気分転換という行為によって、自分本来の正常で常識的な気分へ「返還」していくことだと思うです。

さてさて返還。返還。仕事、家事、勉強がたび重なることによって、精神の安定は崩れていって、性悪な部分を動き始める。そうなるとグンと精神が危険な状態になってきます。こういう時に気分転換が必要になってくる。その方法は、人によって違うでしょう。だから、おまかせします、好きなことをどうぞ、なんてことは絶対書きたくはない。なぜなら、成功する気分転換の方法、というのはひどく限定的なコトだと思うです。

気分転換は僕はこう定義します。リスクを伴わなくて2〜3分で完了できるもの。これを全力で気分転換に取り組むということです。例えば、僕の気分転換は上写真のようなタブレットを1粒口に入れて、パソコンの時計を2分程度なにも考えないで眺めます。これだけ。この程度で気分転換には十分だと感じます。「それは足りないでしょう」という人もいるかと思いますが、案外気分転換というのは2分くらいで大丈夫なのです。大事なのはできるだけ「なにも考えない」という状態が気分転換になるということです。

逆に考えると、人間がなにも考えないような状態でいるのは2分以上は難しいのではないでしょうか。必ず、雑念が流れてくるし、それがあるともう気分転換にならない。だから、僕は2分程度できるだけなにも考えないように努力する。これが案外いいものです。僕は気分転換するのにたくさんの時間は不要だと思うです。5分以上は長いと思う。それだけ時間があればひと仕事を進行させることができる。結局、いくら気分転換に時間をかけても、仕事自体が減る訳ではないですから。

「気分転換」は「リクリエーション」とは違います。前者は、「休養」であり、後者は「遊び」です。これは区別して考えないといけません。「15分ゲームをする」とか、「DVDを観る」というのはもう気分転換ではなく、「リクリエーション」、つまり「遊び」です。それ自体は大変良いのですが、仕事の途中で「遊び」を入れると、基本的に効率は悪くなると思います。気分転換の役割はあくまで、自分の気分を、シンプルで良識ある自分に「返還」していくことですから、どこでもできて、時間がかからない方法がいいと思うです。

実際、雑念を減らした2分という時間は以外と長く感じますよ(ちよっと、やってみてください!)。2分の間も雑念を払うは難しいので、そんな時は、「何も考えない」というの言葉を繰り返すのが、なかなかいいですよ。

気分転換中は「雑念を捨てる」……結局、「捨てる」話になりましたね。

 

文と写真 石川 伸一(NUMERO DEUX)

 

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仕事の字間 第04回「モノを捨てる行為と心の関係」

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Sigo

第04回
モノを捨てる行為と心の関係」(2013.2.11)

「仕事の」… 僕の考える仕事とは、報酬に関係なくなにかを成し遂げること。そして、人生は「ちいさな仕事」の積み重ね。そんなことを考えながら、おおくりするコラムです。




昨年末、「エイヤー」という感じだった。CDを処分をしたのは。僕は普通な感じの音楽好きで、今まで何度かは整理はしたものの500枚程度はあったかと思う。これぐらいあると、物理的なスペースを結構とってしまう。また結局は1年ぐらい、いや5〜6年くらいまったく聴かないCDもある。というか、聴いているCDのほうが圧倒的に少ない。

「不要なものを持っている」そういう状況に取り組むのが最近のテーマのひとつでもある。要するに「捨てる」ということですね。

CD、レコードに限らず、「捨てる」という行為にブレーキがかかるのは、「後悔するかもしれない、必要になるかもしれない」という内なる声のささやきである。これはやっかいだ。なぜなら、それは100パーセント否定はできないことだからである。

しかし、よく考えてみた。この問題には深い思考が必要になってくる。それは「このCDがなくなって困ることはあるだろうか?」ということである。僕にとってCDは娯楽でしかない。生活の必需品ではない。そして、なんといっても処分前にiTuesにいれておけば聴くことができる。あとは、物理的なCD盤やジャケットを持っていることが大事か、ということである。もちろん、データーは消失の可能性はあるが、今のご時勢その可能性は少ないし、バックアップも可能だ。ジャケットは惜しいけど、音楽を楽しむ本質では困らない。そして、ダメ押しはどうしても手放したことが後悔するなら、大部分のものは再購入可能である。また、YouTubeでも聴けるしね。コレも大きい。

結局、僕はほとんどが聴かないCDを持っている理由は気分的にあるかと思っていたけど、実はそれもなかったと結論が出た。これは大事なことで、僕はメンタルとして持つ理由はあると信じていた。だから持っていた。しかし、自分の中で検証してみると、持つ理由がないのに持っていたのである。

この「自分のメンタルの問い合わせは」はとても大事だと思う。僕は物理的、実用的な理由はなくても、気分で持っていたい、というところは僕は大事なことだと思うし、大切にしたい。人間は実用性だけでは生きられないだから。でも、僕は自分の心に深く問い合わせてみると、気持ちとしてもCDは不要だった。

そして、処分してわかるのは、人間はモノを捨てれば、捨てるほど心が軽くなる、ということである。それは実感としてある。ヒトは必ず持たないといけないものに意識を集中するために、不要なモノは捨てるべきだと思った。


文と写真 石川 伸一(NUMERO DEUX)

 

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仕事の字間 第03回 「タイムマシンを作ろう」

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Sigo

第03回
「自分のタイムマシンを作る」(2013.2.4)

「仕事の」… 僕の考える仕事とは、報酬に関係なくなにかを成し遂げること。そして、人生は「ちいさな仕事」の積み重ね。そんなことを考えながら、おおくりするコラムです。



時間とは不思議なものです。時間をコントロールすることはできない、といわれる。それはそうです。過去には戻れないし、未来にはいけない。でも、そうだろうか?

最近、僕は物理的なタイムマシンは無理でも、自分の「心の中のタイムマシン」は可能ではないかと思うことがある。その取り組みを習慣としてやってみている。

方法はシンプル。自分の時間について、1日10分でも考えてメモを作るのだ。それだけでいい。続けることを一番優先したいので、続けられる時間設定がいい。時間があれば20〜30分くらい延長してもいい。でも、最低10分は欲しい。思考にはそれぐらいは必要だ。場所はメモができるなら、どこでも。職場でも、自宅でもカフェでもいい。

メモはノートでも、メモ帳でも好きなものを。モールスキンでもコピー用紙でも、あなたが気分が出るものでいい。さて、何をメモするかって?それは「自分の時間について考えること」。例えば、「趣味の時間が平日に欲しい」「残業を減らしたい」「家族の時間をとりたい」なんでもいい。そこから、その解決案に矢印をつけて考える。キレイに書く必要はない。頭のイメージを捉えるためにメモにするだけだから。読めればいい。

簡単にいうと、自分の時間について、自分で一人会議をするのだ。ポイントはテーマは「自分の時間」だけ。時間についてひたする考える。そして、メモをする。時間について、「必要なものを作る」(=未来)か「ムダなものを減らす」(=過去)ということを自分の日常生活と照らし合わせて考えていく。それを毎日ためていく。

普段から「時間」について、みなさんは考えることはあると思う。ただ、多くの場合、時間だけではなく別のことも考えている中で、メモをとることもないので「時間についての思考」はバブルのように消えていくのではないだろうか。それだと「タイムマシン」にならず消えていく。

しかし、時間のことをだけのことを考え、かつメモをする。その10分間の思考とメモをすることによって、時間を調整するアイディアが浮かんでくる。そのアイディアが「タイムマシン」となるのだ。これをやると、「やりたいことをいつやるか」「惰性でやっている意味のないことをやめるか」というのが頭にまとまってくる。そうしたら、自分の時間についてのアイディアを少しづつ実行していく。それがあなたのタイムマシンとなる。

文と写真 石川 伸一(NUMERO DEUX)

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