« September 2013 | Main | November 2013 »

毎日の字間 2013.10.31「困惑の毎日」

こんばんは。
(おはようございます)                   








僕のとって、困惑とはとってもモヤモヤしたもの。逆説的にいえば、それはただのモヤモヤにすぎない。世の中の大部分はモヤモヤにみえる。

困惑=モヤモヤには拒否ではなく、うまくつき合う方法を考えたい。

なんで、拒否はダメかって?
それは、モヤモヤの正体は自分自身なのだから。


おやすみなさい
(行ってらっしゃい)
---------------------

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.30「JR無人駅と古民家再生」

こんばんは
(ペンをつねに身につけると便利)


少し前の週末ニセコのほうにある無人駅を訪れた。
偶然SLの通過が観られてラッキーだった。

SLってとにかく「音」がセクシーだなぁと思った。無人駅の「無人」とうコトバはどちらかといえば凄くハイテクノロジーな感じがする。例えば、「無人偵察機」とか、なんてあんまり一般的な例えじゃないかな。最近、ハリウッド映画の軍事アクションを観ると、無人機がよく出て来て気分が少し盛り上がる訳ですよ。そのハイテックぶりにですね。基本ハイテク好きなんです。自分の一面は。


(でも、「無人駅」から連想するのは、どこまでもノスタルジックで素敵な風景)


こんな僕でも情緒を感じる感性があったのか!と少し驚く訳です。無人駅というのは、将来は単に無くなるのか、凄くハイテク化するかどっちなんですかね。

昭和の人間ですから、無人駅がただのでっかい無人改札機みたくなるなら、ないほうが…なんていっても、それを必要とする方々がいる訳ですから、理想としてはうまくリノベーションしてくれると嬉しいなぁ、古民家再生の手法みたいなもので。寒くてもいいから。


「無人駅」は、とっても身近で素敵な文化財と僕は思う。
パブリックな空間ともいえるし。
あの無人駅にまた行ってみたい。



良い夜を!
(お休みなさい)

----------------------

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.29「ステーキ」

こんばんは-おはようございます
(自宅にロックアイスがあると便利。暖かい部屋で冷たい飲物)

ビ・フ・テ・キの社会的地位。
ステーキ皿は、ガイドブックの夢を観るか?



ステーキはごちそうである。その昔は、「ビフテキ」という言葉もあった(今もあるか)。ビーフステーキの略である。とにかく省略標記が生まれるほど人気があった訳だ。これはステーキは牛肉なんです。牛肉を食べるのがスモールドリームであることを意味するのだろう。でも、ポークやチキンのソテーもおいしいですけどね。

(ドラゴンクエスト → ドラクエ)

今の時代、ステーキはなにを意味するのだろうか?「よし寿司でも食べるか」というのは普通に有効。では「ビフテキ」でも食べるか?というのはどうだろうか?


お寿司の有効範囲は広い。若者から年配まで容易にカバー可能である。しかしながら、ステーキはどうだろか?ここの念のため言っておくが、これはメニューそのものの優劣の話をしているのでない。滅多に食べられないが専門店で食べるステーキはかなり美味しい。「これが肉ならば、普段を食べている肉は何なのだろうか?」と思うくらい。同時に「お肉を焼いただけななのにこの値段なのか!」という悲しい庶民の本音もポロリと出る。


ステーキは作れる。スーパーで買って焼くだけ。
外食でも安いステーキを出すお店はたくさんある。
おいしさを別にすれば、ステーキのハードルは低い。

あと、ステーキって、バリエーションに欠けるよね。お寿司は無数の素材があるのに、ステーキはお肉だけなので。「お肉だけ」。

そこをうまくカバーしているのが、「焼き肉」というチョイス。

「ステーキ行かない?」を「焼き肉行かない?」に変えると、グッと親近感と行きたい感が高まるだろう。その理由は「焼き肉」という外食から連想されるバリーエションは豊富だからだろう。いろいろ食べられる。これに、「お酒」も自然にリンクしやすい、

今、ここまでステーキと何度書いても、食べに行きたいとは思わなかったかけど、「焼き肉」と書いたら、行きたくなった。

今日の結論、「焼き肉は魅力的」



いってらっしゃい。
(お休みなさい)

----------------------

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.28「車は部屋である」

こんばんは!
(アメリカンドックを食べたくないですか?)




車とは「動く部屋」だと僕は思う。

車で出かけて出先の駐車場に停める。用事を終え車に乗り込む。するとホッとする自分がいる。車の中は「自分の領域」だと思うのだ。ここが自分の部屋だと思う。移動用の自宅といってもいいかもしれない。だから、安心する。

(安心とはいいものだ)


以前、近所に駐車場のある公園があった。10台以上車が停められる場所だった。そこは、小山を上ったような場所で緑が多くて気持ちよかった。僕はシンプルな公園が好きだ。あんまりオブジェとか、なくていい。雑草と年を重ねた樹木があって、静かなら最高だ。

その公園は日曜でもほとんど人がいなかった。僕は休みの日、時々そこに車で行って、駐車場にて車の中で本を読んでいた。家で淹れた珈琲を保温ポットに入れて持ってきていた。文庫本を読みながら、時々珈琲を飲む。そして、外の緑に目を向ける。とても気持ち良かった。

(走っている車もいいが、停まっている車も悪くない)



良い夜を。
(本を読みませんか)

ーーーーーーーーーーー

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.27「まわりにある偽装」

こんばんは。
(日曜の夜のTVは…特に観てないです)



「偽装」ということについて、考えてたい。端的にいえば、「嘘」という意味ですよね。
人はなぜ、偽るのか。偽らないで生活できるのだろうか。仕事を偽るのか、プライベートを偽るのか。偽りは「悪」なのか。

なぜか、
(嘘も方便というコトバもある)

嘘=事実でないこと、と定義すれば、世の中には嘘だらけではないのか。映画や小説は嘘だから悪なのか。今のが頭の悪そうな理屈だということはわかる。映画は小説は嘘というのが、前提であるのだから、悪にはならないといことだろう。

(「これはフイクションです」という表示が事実であることの保証は誰がしてくれるのだろうか?)



僕たちは知っている。「嘘」と「真実」といのは絶対的な基準がある訳じゃない。人、時、状況によって白と黒をさまようひどく相対的ものである。そして、完全なる白や黒というのは存在しない。人が決めるものに完全なものはないのだから。

「偽装がいけない」、というより「なぜ、その偽装はいけないのか?」
と「なぜ」の部分を深く深く議論していくのが大事だと思う。



おやすみなさい。
(いい週でありますように)

---------------

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.26「旅の楽しみはとまりたい宿」

こんばんは。
(元旦に旅行などいかがでしょう。思いつき!)




旅行の楽しみは、「宿の楽しみ」もあるかと思う。
その比率は人によって違うと思う。それぞれ。

旅先で、夜も外に出てじっくりその地で遊びたい人なら、宿は安いところで十分かもしれない。場合によってはカプセルホテルやサウナでも十分だろう。思いっきり、その土地を楽しめそうだ。特に飲めるといいんじゃないかな。

(人生の楽しみには、夜の楽しみあるのだろうね。)
(すると、飲めない僕は夜の分損なのか?)


お酒が飲めず、夜は眠くなる僕は、旅行でも早く寝る。なによりもスグに寝る訳ではないが、お風呂にでも入っていつでも眠れる状態でホテルでゆったりするのが好きなのだ。

そのためホテルは居心地が良いところがいい。部屋の良さははもちろんだが、エントランス〜ロビー〜フロントあたりの雰囲気の良いところが好き。この点は宿の規模(スケール)だけでは決められないところである。過去の体験として。

ロビーまわりがちいさくてもでも趣味が良く、居心地の良いところがあるし、逆に広くても雰囲気の良くないとこもある。正直、チェックインに待たされるのが苦手。なんとも手持ちぶたさ。座れるところも埋まっている場合多し。どうしろと。オロオロ。

(荷物は自分も持てます。持ちたいです)。

最近は、読書ラウンジのある宿も多くて、魅力的だ。
旅にまで来て読書? という考え方もあるかと思うが、夜や早朝にそういった場所でふと、本を手に取ってみるのもいい想い出になる。

いつもと違う場所での読書は気分も変る。
そこで、何かを考えたり、外の風景を眺めたり。


(僕の旅の想い出の半分は、「宿の想い出」で、できているのかもしれない)


宿も旅先の「地」であるのは間違いない。
宿の中をじっくり楽しむのも、僕の旅の大きな楽しみである。




おやすみなさい。

ーーーーーーー

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.25「風俗な生活」

こんばんは!
(ATMが混雑していた。そうか、今日はお給料日の方が多いのですね)



さて、給料日といえば風俗。なんて、似合わないことはやめておいて。(度胸もない)

「風俗」というと現在では、わりと夜な感じのコトバではありますが、もともとの意味としては、衣食住など日常生活上のしきたりや習わし、風習のことを「風俗」といいます。まぁ、そういう中には当然、性的なテーマもある訳ですが、そこだけがしぶとく生き残って、現在ではすっかり夜の用語になった気がします。「夜」は強いね。


(だから、アカデミックな文献を読んでいて「風俗」なんて文字が目に飛び込んでくるとビックリする訳です)


風俗=「しきたり、習わし」」という意味では、どんどん失われているように思います。

(しきたりは、失われるだけなのか、それとも生まれてもいるのか?)

風習、しきたり、といえば、伝統文化の香りとか隣人との密接な関係が浮かびます。あくまでイメージですと注釈をつけたくなるあいまいな記述です。もやもや。

日本文化はどこに??

でも、ふと、思うのですが、「インターネット」も新しく生まれた「しきたり、習わし」ではないでしょうか。インターネットが廃れる、なんてことはないかと思います。利点ばっかりだとは言い切れないですが、もうネットなしでは生活できない時代が、あともう少しではないでしょうか。

インターネットという、
新しい「しきたり、風習、ならわし」について、
そのパイオニアの地点にいる僕たちは、考えたり、記録していくべきではないでしょうか。




おやすみなさい。

(今日、給料日の方、おつかれさまです)

ーーーーーーーーーーーーーー

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.24「台風の感じ方」

こんばんは!
(時計をみてますか?)



北海道に住んでいると、「台風」を意識するのは本州よりも少なめだと思っている。まったくの私感なんで書いてて自信がなくなってくる。僕の生活の中では台風というのはニュースの中にあるものであった。たまに雨の激しい外の風景を眺めて「あっ、台風?」と思うぐらいである。団地暮らしが長かったことも関係あるのだろうか。梅雨もそうである。
そのあたりが本州と違のではないか。

(雪・雪・雪 吹雪の思い出はあるよ。)

とにかく「雪」という圧倒的な存在があるので、冬という季節の前後の「秋」と「春」は独立した季節というより、「秋は冬の予兆」、「春は冬の余韻」という感じがする。すべては冬のために用意された季節。

これが、本州ならもっと「秋」「冬」はより独立した、過ごしやすい季節という位置づけだと聞いている。強い風といえば、やはり台風より吹雪である。小学生の頃、吹雪で集団下校というのもあった。集団下校の練習というのも記憶の残っている。

吹雪に対する強いリアリティ。
対して、台風についてのぼんやりとした印象。

自然現象も、感じ方はいろいろある。

おやすなさい。

--------------------------




| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.23「食べる支配」

こんばんは
(お米食べてますか?)



ごはんを何にしよう?と思ったとき、パッと頭に思い浮かぶ分類としてはおもに「和食」「洋食」「中華」に分かれると思う。ホント、若いころ「洋」「中」が好きだったと思う。それは、外食が多かったのも理由としてあると思う。気軽に食べられるカテゴリーが「洋」「中」が多いのだ。

当然、一番は当時の自分の好みである。

(ハンバーガーのファーストフードのお店は、「洋食」でいいのだろか?
牛丼のお店は「和食」でいいだろうか)

歳を重ねるごとに、ごはんの好みが複雑化していく。「和」「洋」「中」というカテゴリーに価格帯ごとのサブカテゴリーができたり、デパートの地下で買うとか、自炊するとか、今日は食べないとか…選択肢が増えていく。

1日の頭の大部分のパーセンテージは「食べること」に支配されるのか、と思うことがある。近所のスーパーの日常的な買い物の大部分は「食べること」についてである。

そして、さらに「食べること」には金銭がリンクするのが普通。よって自分の財産管理問題までつながるのである。

僕は食べることに支配されているのか。

(食べることについての合理的な思考が難しい。それができれば苦労はしないよね)

でも、食べることの快楽を知ってしまうと、考えずにはいられないのである。

精米したてのちょっと上質のお米を食べる。
とってもおいしい。そこに幸せを感じるのである。







おやすみなさい。
ーーーーーーーーー

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.22「感謝は自分のため」

こんばんは
(ヨーグルト食べてますか?)



少し眠い、頭の中が少しもやもやしていく。思ったよりもっと眠いかもしれない。眠いとキーを打つたびに眠気が襲ってくる。その前に書いておこう。テーマは感謝である。

(感謝はするものであるが、自分のためでもある)

一般的には感謝というのは、他人に対する意思表示であるが、それがすべてではない。感謝する自分に対しての気持ちの整理の意味もある思う。

(人に感謝の気持を表現することは、自分に対しても心のご褒美だと思う)

感謝をすればするほど、気持ちは整理され落ち感じがする。
でも、意識しないと感謝の心は持てない場合多い。反省点である。

感謝を思い出そう。
そうすれば、結果として自分の気持ちも安定するだろう。
感謝できることは、良いことががあること。

感謝する生活、それはより良い生活。




おやすみなさい。
------------------------

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.21「不明な時間」

こんばんは。
(お家のおやつは買った?)



「不明」なことは、どう解決するのか。

それが、必要なことなら調べなければいけない。必要でなければ放っておけばいい。人には好奇心というのがあって、必要ではなくても「不明」なことに首を突っ込みたくなる。ひとりの頭の中の知識は不明な点でいっぱいだ。逆に、知っていることはわずかだと思う。

好奇心と時間。僕は好奇心をうめるためにネットサーフィンをしたり、本を読んだり、時には外出をする。好奇心をうめるためだから、本当に必要なことではない。必要ではないことに時間をかけるにコトについて、どう付き合うべきか。

芸術や文化は生きているのに必要かといえば絶対ではない。
残念だけど、そうだと思う。その世界にある「不明」について、僕は付かず離れずで付き合っていきたい。そういうスタンスが長続きすると思うから。

そう、長続きしたいのだ。芸術や文化については。







おやすみなさい
--------------

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.20「雪国ではない北海道」

おはようございます。
(選択せよ。電気ストーブかヒーターか?)



北海道を「雪国」と呼ぶにはどこか違和感がある。
「雪国」という言い回しは本州な感じがする。北海道は雪の多い場所、地方でいいと思う。

(あくまで僕の主観)
(「国」がついていると、いっしょにたくさんの歴史をしよっているような気がすす。

北海道のいいところは、歴史を背負いすぎないところではないだろうか。

雪になんらかの感傷を多く持てるのは、雪のない、または少ないところで育った人ではないだろうか。そこでない人か、旅人か。

あまりに多い雪が、生まれたころからまわりにあるなら、感傷の入る隙のない日常になる。人は日常には反応は鈍い。日常には感傷を許さない力強さがある。
(しかし、実は人生で一番大事なのは日常ではないかと思う。なぜなら、人生で一番多い時間が日常なので)

でも、同時に北海道に住む僕たちは、雪という特色について、考えなければならない。なぜなら、それはこの地の特色だからだ。

気にも留めない日常が特色。特色については考えないといけない。
(なんという、複雑さだろう!)

良い夜を!

--------------------

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.19「映画祭というしくみ」

おはようございます。
(大人の時間?)



映画祭に行ってみたいな、と思った。実は最近は行ってない。時間がないので、というのは完全なる言い訳で、もっと気の利いた言い訳考えろ、と自分でいいたいぐらい。

時間がないから行けない、というなら映画祭に行く人はみんなヒマ人なのか?ということになってしまう。そんなことはない。みんな平等に割り当てられた24時間を一生懸命やりくりして時間を作っているのだろう。

(時間をつくる、という努力は本当に素晴らしいと思う)

音楽祭(野外フェスなど)がここ最近ずっと盛んである。映画祭もそうならないだろうか。考えてみる。音楽フェスにくらべて、映画祭はライブ感に劣る、というはあると思う。

例えば、音楽祭がライブの記録映像を見る場だったら、参加する人はグッと少なくなると思う。


やはり、「ライブ感」に価値を見いだして、みんな音楽祭に参加するのだろう。会場に存在するアーティスト。この日のこの場のために演奏されるライブ、手が届きそうな距離、この場にいるお客さんとの交流。

では、映画祭の魅力はどうだろうか?

音楽祭と比較すると、ライブ感が唯一、確実にあるのは「この映画祭に集まったお客さん」ということになると思う。

(監督等の舞台挨拶は魅力だが、映画祭の不可欠要素までにならない)
(でも、お客さんはいないと映画祭は成立しない。お客さん=不可欠)

映画祭のおける最大の魅力は、同時に不可欠要素である「お客さん」
ということにならないだろうか。

映画祭をより成功に導くには、

「お客さんが、お客さんによって生み出される映画祭の魅力」
(それをさりげなく手助けする映画祭の制作者たち)


というのが、ひとつのキーになるのでは、と考えた。
その仕組みを考えたい。




珈琲を飲みながら。

良い土曜を。
-------------------------------

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.18「特別」

こんばんは
(どんな金曜日?)



「特別」という言葉は良い意味だろうか?
大体、良いと思う。悪いイメージは少ないかと思う。



(特別「悪い」というのは語呂あわせがよくない。あるかもしれないけど)

特別良い、というなら気分がいい。特別扱いというのも「特別扱いしないでください!」と言いつつ内面では「特別扱い」を人は求めることもある。普通の生活を求めながら、時には人は特別を求める。特別と普通の境界線。

(特別は道にはころがってはいない。
でもどこかに必ずある。というか見えるところにある)


見えても、簡単には手が届かないのが「特別」。

どうしたら、特別は手に入るのか。特別を欲するだけでは、それがキッカケで手にれることができない。実は普段の生活から特別が生まれる可能性はある。
特別を生み出す思考や思想が大事だと思う。

特別のことばかりを思うと、逆に特別は遠くにいってしまう。
特別をあまり考えないのが大事だと思う。

それにプラス、自分だけの特別なことを実行するのがいい。
結局、特別なところに特別が来るのだ。




おやすみなさい。
(明日、早起きしてみては)
ーーーーーーーーーーーー

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.17「マンションをかこむ人」

こんばんは?(おはようございます。)

(仕事にカーディガンほしいね)


僕の住んでいるマンションは立地は悪くないと思う。今まで何度か市内に転居しているが、いいなぁと思うことがある。立地である。

どういう立地がいいのか?「人」がいい感じなのである。別に僕は隣人と仲良くしていたり町内会の行事に参加している訳ではないので、深いレベルで、本当にそうなのか?と問われれば泣きそうにになるだけなのだが。印象としてよく感じるのだ。

(町内会を意識するのは、毎月のマンションの請求書の内訳を見たとき)

僕の印象でしかないのだが、マンションのまわりを歩いている人たちが、ごくごく普通で、常識的に思える。では、今まで住んでいたところが、非常識な人ばかりだったのか??というツッコミも今日のところは勘弁いただけないだろうか。相対的な比較と印象の話なのだ。

(すべては印象の話である)

勘といってもいいかもしれない。でも、凄く適当な印象ではないと思う。なぜなぜ、この印象は一定のレベルを維持していて、さほどブレないから。

人のオーラが街を作る、ということがあるのだろうか。
きっとあるのだろう。僕が今、感じている(と思っていること)
はそういうことかもしれない。


おやすみなさい。
(いってらっしい)
-------------------























おやすみなさい
------------------------

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.16「もっと光を!」

こんばんは。
(LEDへの切り替えしてますか?)




蛍光灯の光が苦手だ。
だから、リビンングの天井にある蛍光灯はなるべくつけないようにしている。そのかわりにスタンド式の照明をつけている。これは電球色である。ぼーっとした色が好きだ。間接照明という感じである。本を読んだりするのは不向きだと思うが、まったく当てにならない訳じゃない。ロウソクは好きだけど、あぶないので。アロマキャンドルは好きだけど。

(蛍光灯の明確さが、時に苦手だ。特にリビングには)
(だって、リビングに明白性が必要だろうか?)

蛍光灯=現実。


家の電球を少しずつLEDにしている。
電球が切れると代わりはLEDにする。安いLED電球を探す仕事をする。

(電気がついていても、僕は寝ることができる。蛍光灯でも)

そういえば、一番最初にLEDにしたのはベッドにあるちいさなライトだ。
昔からベッドのそばにはライトがあった。LEDになったのは最近だ。

(LEDは熱をもたない。ベッドそばの照明にはそれをとっても感じる)

LEDが好きか、嫌いかと聞かれてももよくわからない。LEDは値段が高い分、僕は嫌いなのかもしれない。ヨーグルトのバニラ味が好きだ。反則っぽいけど。

LEDは反則な気がするけど、そのうちそうじゃない気持ちになるのだろう。
すべては慣れだ。



おやすみなさい。
(やはり、寝るときは照明は消そう)
ーーーーーーーーーーーーーーーー









| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.15「キノコのお好み焼き」

こんばんは。
(調味料、足りてますか?)



ウスターソースが必要になった。

冷蔵庫になかったので、近所のコンビニエンスストアに買いに行くことにした。ウスターソースはちよっとやっかいな存在だ。僕の場合、あまりつかわないのだ。このソース自体は嫌いじゃない。トンカツ等の揚げ物にじょばじょばかけて食べるのも好きだ。

ただ、自宅での出番があまりないのだ。気力がないので自宅で揚げ物はしない。また、僕は間が抜けてるので火事になったりしたら大変だ。そうなればかなり悔やむ。揚げ物は外から買ってくるとソースはちいさな小袋でついてきたりするので、家に用意しなくてもいい。


(実は、お好み焼きにつけるためにウスターソースを買ったのだ)


本当は好きなお好み焼きのソースがあるのだが、それは近所のスーパーには売ってない。だから、間に合わせとしてコンビニエンスストアで買うことにした。今回はウスターソースとマヨネーズで代用したいと思う。


(コンビニエンスストアで少し迷って小さな瓶のウスターソースを買いました)

お好み焼きは、市販の粉を使うのが楽だ。これにキャベツ、卵があればあとは適当な冷蔵庫のあまりものを入れればいい。今回は、エノキとマイタケがあまっていたので、これを具材に作ってみた。お好み焼きの具材としては変則だと思う。

サラリと焼いて食べてみる。
お好み焼きでありながらキノコの食感がソフトでとっても新鮮だ。おいしいと思う。結構、食べたけどクセがないので後味も悪くない。

夕食がよければすべてよし。


おやすみなさい。
(行ってらっしゃい)
---------------------

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.10.14「ステラプレイス3F」

こんばんは
(買い物はいきましたか?)


今日、札幌駅前のほうでランチの予定があった。ひさびさに行ってみた。1ヵ月ぶりぐらいかもしれない。

(札駅、本当に行かなくなって。今はひと月1回くらいのペースだろうか)

ステラプレイスの3Fのワンフロアがリニューアルしたらしい。ポスターがあったので行ってみた。もとコムサイズムコムサデモードのあったところかと思う。文房具、雑貨、服などショップが集合したフロアにリニューアルしていた。

以下、文房具のお店のまわりをサラリとみただけの雑感である。
だフロアの半分くらいの見た話。

(文房具は見るのはとても好きだ)

 

文房具のお店は東京の新しめのテナントビルにある今ふうの感じであるけど、アイテムは手頃な値段のセレクトだと思う。個人的にはもっとハイクラスの筆記具等あったら嬉しいところだが、学生が気軽に買えるオシャレな感じのモノ、を中心にするのはニーズとして正解だと思う。実際若い人が多く来ていた。

文房具のお店からはなれて、おっとびっくりなのはMHLのお店があること。フロアになじんているかと思う。さりげない立地だなぁ、と思う。MHLと同じならびに「ヴュー ヴィンテージ」という女性むけのお店があっていい感じでした。クラシックで、シンプル。それていて、遊びにも着ていけるアイテムがあるかと思います。

他の部分は、時間的に見なかったのだけど、わりとフロア全体で統一感のあるお店を集めているような印象なので、また来てみたい。

(また来てみたい、と思わせるリニューアルでした。)


おやすみなさい
(いってらっしゃい)

------------------

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.10.13「寝室から聞こえる雨」

こんばんは。おはよう。
(寒い空気。厳しい空気)




今日は雨は結構降りましたね。風も強かった。
雨は時には、外出の予定をダメにしてしまう、やっかいな自然現象です。洪水といって大変な自然災害も引き起こします。でも、雨はまったくなければ、私たちは生きることができないでしょう。必要悪、というのはいいすぎな感じもします。

(雨の美学)

自然災害にまでいかなければ、「雨」は好きな自然現象です。
「雪」とどちらが好きか?と聞かれれば難しい質問です。

結論は今回は出さないけど、無数の雫が天から降ってくるのは、
科学的な理屈はわかりますが、それでも不思議な感じがします。

 

寝室から、聞こえる外の雨の音が、僕は好きです。
休日の朝、ベッドの中から外の雨音に気がつきます。残念な気持ちもあります。でも、ずっと雨の音を聴いていたい気持ちにもなる。

(水たまりの上を車が通る音が聞こえます)

そうか、雨には音があります。
雨自体に音がある訳ではないですが、
屋根に当たる音、地面に当たる音、その他のものに当たる音があります。

雨の魅力は、「音」にあると思いました。


おやすなさい。

(月曜もオフですか?)

---------------

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.10.12「ネルドリップ」

こんばんは/おはようございます
(果物食べてますか?)



冷蔵庫を開けると、冷蔵室の2段目の奥のほうに、丸い保存容器がある。そこにはネルリップのためのネルが水につけてある。朝、余裕のある時はネルで飲む。
基本はペーパーが多いですけど。

(ネルといえば、ネルシャツ。長崎屋ビッグオフにはネルシャツがたくさんあった、という記憶がいつもよみがえる。あと、地下の焼きそば屋。レッドピーマン。)

ネルとは関係ないが、ネイルというのもある。ネイルといえば「つめ」。とくれば爪切りである。昔は動物のかたちをした爪切りがあり、それが欲しかった記憶があるのだが今でもあるのだろうか?また、くまのかき氷製造機はあるのだろうか? 目が動くの。


(ひとつのコトバから、連想が生まれ、記憶がよみがえって行く)

そして、僕は記憶の旅にでる。

お湯が沸いた。

ネルにコーヒーの粉を入れて、いつものファイヤーキングのカップにむけて、お湯を注ぎこむ。まずは、少しだけ入れて蒸らす。そして、お湯をさらに注ぎ込む。ネルはペーパーよりお湯が早く落ちて行く。そういう意味では、ペーパーより素早いと思う。



僕は、コーヒーがお湯で膨らんでいくのを見るのが好きだ。
コーヒーを淹れる楽しみの半分くらいは、この部分だ。

終われば、ネルをキレイに洗って、また保存容器に入れて
水を注ぎこむ。

今度はいつ使うのだろか。記憶はいつ彷徨うだろうか。



おやすみなさい
(行ってらっしゃい)
-------------------------

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.10.11「大腸カメラは銀塩カメラの夢を見るか?後編」

こんばんは。
(おはようございます)




※前回、前々回の続きです。

大腸カメラの検査の日、検査20分くらい前には病院に着いた。普通の格好だが、脱ぎ易い服装でいった。受付をすますと着替えるように指示を受けた。

下着のTシャツは着たまま、トランクスは脱ぐ。お尻の部分が空いているゆったりとしたパンツに履き替える。そしてワンピースになっている検査着になる。

検査で呼ばれるのをTVやそこにあった医学関係の本を読みながら待った。本をパラパラと読む。15分程度だろうか。

(正直、緊張する。肛門にカメラを入れるなんて。僕は座薬だって苦手なんだ)

**********


名前を呼ばれる。
ヨロヨロと立ち上がって、検査室に案内される。

(検査室には医師と看護士の2人がいた)

医師は江口洋介みたいだった。
看護士がなぜか、とってもキレイな人だった。

(これは現実の世界なのだろうか?)

医師の挨拶があり、検査はスタートした。医師にお尻をむけるように検査ベッドに寝る。自分の顔をむけていた上のほうに小さなモニターがあった。これは大腸の中を写していたかもしれないが、それに目を向ける余裕のない僕であった。

看護士から声をかけられて、鎮静剤の点滴の針がチクッとする。

さて、いよいよ本番。医師から検査がスムーズにおこなうために肛門に指でゼリーをいれますよ、といった説明を受ける。肛門に指が入る。これを飛び上がりたいほどツラかった。2回あったので2回飛び上がりそうになった。看護士が押さえてくれなければ、飛び上がって天井まで人の形をくりぬいたかもしれない。時間的には30秒にも満たないと思うけどね…僕は特別そういうに弱いので。


**********


あー、これからどうなるのと思いながらベッドから検査室の風景を眺める。

(これから、どうなるのだろう)

(医師は大腸カメラのレンズでも磨いているのだろうか)

おとなしくしている。

それから、5分くらいだろうか。

「もう、少しで終わりますからね」

えっ、と思う。僕は肛門に指を入れられてから、医師は大腸カメラの準備をしていると考えていた。ところがカメラは入っていたのだ!気がつかなかった。カメラが入ればそれなりの異物感を予想していのだが、気がつかなかった。そして間もなく。

「終わりました」と告げられる。点滴はまだ残っている。ボーッとする。看護士からベッドで30分くらい休んでいってください、と説明される。点滴を吊るしたままベッドのある休養室に案内される。そこでひと休み。あー終わったと思う。

ベッドでの休養が終わり、
検査は終わった。着替えて書類をもらい1Fで支払いをする。

 

**********


検査の総括としては、ツラかった点は2点に集約。

(1)当日の朝に飲む2リットルの腸をキレイにする液体と排便の繰り返しで、便を液体にするコト(これをクリアしないと検査できない)。

(2)検査時の肛門に指を入れられるところ(30秒くらい?)

てなところでした。

※最後に。

以上の3回の大腸カメラ体験記はあくまで僕の私感であり、記憶で書いたもので不正確な部分もあったと思うし、構成上省いた部分もある。また、検査の方法も病院によって違いがあるようです。本当に検査をする場合は病院の説明をよく確認したほうがいいと思います。


明日は土曜日だね。
(おやすみ、いってらっしゃい)

-------------------------

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.10.10「大腸カメラは銀塩カメラの夢を見るか?中編」

こんばんは。
(今日は、空を見上げましたか?)



さて、前回の大腸カメラ体験記の続き。

朝6時から、先日作っておいた腸をきれいにする液体を2時間かけて飲む。飲みながら、下剤が効いてるので、トイレに行く。そして、また飲む。それの繰り返し。トイレに行くごとに便をチエックして、黄色か半透明の液体にになったらオッケー。

飲んでる液体はスポーツドリンクを薄くした感じだが、それほど飲み心地はよくない。がんばって飲む感じ。飲んだ量は1リットルを超えたあたりから、便が黄色の液体になってきた。これでオッケーである。さすがに飲みきった時も半透明の液体にまではいかなかったが、これが普通の便のような色だったり、固形のような感じのままだと検査を受けることが難しくなるので注意。この段階で中止はくやしい。仕事もオフにしたし。

とりあえず、検査のできる身体になったのが10時すぎ。検査は14時から。病院は車で15分程度の場所なので、ひと休み。昼を挟むけど当然ランチを食べることはできない。基本、水を飲むぐらいである。

ひとつ驚いたのが、昨日から食事は普段よりずっと質素で、かつ本日は何も食べていないのに、身体の調子は結構良い感じなこと。僕はふだん3食それなりに食べるし、オヤツも食べるので、普通に考えるとこれだけ食べてないと空腹感でツライかな、と予想していた。ところが逆に良い感じ。大腸カメラメニューを日常的にやってみようかしら…と考えてみたりした。

さて、病院に行く時間になった。
すいません、まだ後編のいよいよ検査!に続きます。


お休みなさい。
(明日は、金曜ですね)
---------------------------

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.9「大腸カメラは銀塩カメラの夢を見るか?前編」

こんばんは
(カラダの調子はどうですか?)



最近、大腸カメラ(大腸内視鏡検査)の検査をしてみました。

この肛門から入れるカメラの検査については、まだ体験したことがない人が多いと思う。参考までにその体験談を書いてみようかと思う。あくまで、僕個人のひとつの病院での体験なので、ほかの病院はでは進め方等が異なる場合もあると思うし、記憶で書いているので、こういう雰囲気という程度で気持ちで読んでみていただきたい。本当に興味がある場合は病院に相談するのがいいかと思います。

(正直、とっても不安でした。だって、肛門にカメラを入れるのですよ)

動機はそんなにない。まぁ、昔から胃腸が弱いというのがあったし、親のすすめもあって、ちよっと受けてみようかという程度の興味である。いづれ受けることになるかと思うし。では、一度受けておくか、という感じである。

病院に行って、いきなり大腸カメラはできない。まず、お医者さんに簡単な診療を受ける。そして、大腸カメラの日を決める。空いているということで一週間後に入れることができた。

そして、看護士さんに30分くらい大腸カメラについて、いろいろ説明を受けた。検査の前の食生活や飲む薬もある。

(検査の2〜3日前には食生活を変える必要がある)

まず、野菜や果物、キノコ、海草はNGとなる。繊維のあるものがダメらしい。これらを控えつつ検査前日になると、メニューはほぼ指定される。朝は自宅でトースト、具のないスープ。お昼は、外でかけうどんをネギを排除しながら食べる。夜は自宅で、おかゆ、豆腐、タマゴ、うめぼし。デザートにアイスクリーム。腸の中をなるべくキレイにしようというイメージでしようね。アイスクリームがとってもおいしく感じる。夕食は20時までに完了させる。
ストイックな食生活だが、お腹が減って困るということはなく、逆に調子が良く感じた。

(そして、21時に病院から渡された下剤を飲む)
(明日の朝6時から8時までに飲む液体の用意をする。用意といっても、病院から貰った粉末入りの容器に水をいれるだけ)

その後、そわそわしながらTVを観ていたが、ほどなく寝室にむかった。
下剤・下剤・下剤…頭の中。

長くなりましたので、今回はこのへんで、中編に続きます。

良い夜を。
(夕食、キチンと食べてね)

| | TrackBack (1)

毎日の字間 2013.010.8「リセット」

こんばんは(おはようございます)
(あんまん、食べませんか?)



機械には、生きる意思も意味もいらない。電気があれば、動くし、なければ動かない。それだけである。まさに0と1の世界。素晴らしくもあり、悲しいところでもある。当の機械は素晴らしいとも、悲しいとも思わない訳で、人間が勝手に思っているだけ。

(機械のようになりたいと思うことがある)

全部機械も嫌なので、半分くらいだろうか。いや、肉体は生身でいいのである。脳のごく一部にリセットスイッチが欲しい。頭の後ろのやや下ぐらいに小さな赤いボタンがあるのがいいかと思う。なにかあれば、これを長押し3秒くらいでリセットする。全部リセットで、赤ちゃんになってしまうと、いろいろ面倒になる。だから、1日前くらいに戻るでいいかな。そう、1日前ぐらいで丁度いいかな実用的には。

(リセットとは「失う」ことである)

失うことが大好きな人はいるのだろうか? そこはきっと、「楽しい」ことはとっておきたいし、「つらい」ことは失いたい、という「分類」の考え方もあるかと思う。

では、つらいと思うことはすべてリセットしたとする。すると、素晴らしくなるだろうか。今度は「楽しい」ことに優劣をつけ始めるか「楽しい」ことがリセット前より楽しくなくなるかもしれない。すべてが、楽しければ、それはもはた「楽しい」という意味が薄くなる。

(それにしても、つらいことは忘れたいのが人間の本性だと思う。でも、完全に忘れるのが難しいのがまた人間だと思う)

ツライことをいいことだ、なんてことは僕は絶対いわない。ツライの嫌だ。でも、ツライことがあれば、それはそれでいいのだ…となるべく自分の言い聞かせるようにする。

(言い聞かせるのが毎日。それが人生)

おやすみなさい
(いってらっしゃい)

ーーーーーーーーーーーーー

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.7「自分の証明」

こんばんは!
(マフラー欲しくないですか?)

自分は自分、その根拠はどこにあるのだろうか。
社会に対して。

自分の「戸籍」を見たことがあるだろうか? もしかししたら、一度も見た事のない方もいるかもしれない。ふだん生活していて戸籍を求められることは少ない。僕が社会人になったころは学校や職場で求められる場合もあったようだが、今はそういったことはあまり聞かない。せいぜい住民票ぐらいではないだろうか。

戸籍がないと日本で日本人として生きるのが難しい。戸籍が自分についての証明である。戸籍には生年月日から、親の名前等いろいろな情報が記載されている。その情報によって、自分が作られていく。

(自分は、何者なのか? それは基本は戸籍が教えてくれる)

戸籍がなくなれば、対外的には自分は自分でなくなってしまう。自分は自分なのだが、社会に対して、自分の証明というのが必要になる。それが戸籍。

意識はしていないが、戸籍は存在する。今のところ存在しなければならない。



おやすみなさい。
(夜を楽しんで!)

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.6「車にお留守番を頼む」

こんばんは!
(今日は、お肉を食べましたか?)


今日はコーチャンーフォーに行ってきた。ミュウヘン大橋店である。車で行くのを想定しているお店であるが、僕ははじめてこのお店に行った時は地下鉄と徒歩で行った。

その時は僕は車を持っていなかったのである。ある日の日曜に地下鉄に乗って行ってみた。地図で調べてみると地下鉄澄川駅で下車をして、徒歩で行くプランを考えた。結構、歩く。しかし、歩けない距離ではない。30分〜40分ぐらいではないだろうか?

僕は歩くのは嫌いではない。実家も車に乗らない家庭だったので、家族の外出とは、徒歩と公共の交通機関を使って行くことであった。

国道沿いのファミレスももちろん徒歩。家に車が無いこと事実に特に疑問はなく、僕は世の中には車で行くむけの店と、そうでないお店があることをハッキリと認識したのは結構後だと思う。大学くらいだろうか。

歩くと僕は心安らぐ。散歩が好きということかもしれない。

(歩くの好きなので、コストコあたりを車なしで行くのを挑戦したいところである)

そういえば、三井アウトレットのオープン時には車は持っていたけど、地下鉄とバスで行ったなぁ。道や駐車場が混んでいると大変かなぁ、と思って。

(今でも車に初心者マークを4枚くらい張りたい気分である。前後左右)

歩くことについては、僕は専門家かもれない。
といっても、ウォーキングやフイットネスな意味ではなく、歩くことは利点を見いだすことである。文科系ウォーキング。

歩くと、車に乗らなくてもいい。
時には、それが安らぎとなる。

良い夜を。
(明日は良い日になりますように)

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.5「LION パンチNO.101 」

こんばんは
(おはようございます。今日は良い匂いした?)



「穴あけ器」を買ったよ。1穴用だ。僕はファイルバインダーを使っていて、それに使うものだ(そのつもりだった)。2穴用は持っているのだけど、先日、ふと1穴用も欲しくなったのだ。

(なぜ、1穴用が欲しくなったのか。今、少しわからない)

2穴用は100円ショップで購入したものだが、そのフォルムは…ん?机まわりに見当たらない。探してみます…見つかった。ああ、これは100円ショップのではなかった。カール事務機のだった。100円ショップで買ったのは、仕事場にあるかと思う。

今回1穴用は文房具専門店で入手した。メーカーも老舗のLIONでである。むき出しで売っていた2穴用と違い、1穴用は小さな紙箱に入っている。1穴用を手に取って眺める。

美しいと思う。穴開ける手で押すレバー部分がブルー。その下の本体がグレー、穴を開けた紙がたまる部分がグラファイトである。この3色の色わけが素晴らしい。

(美しいものがあると時間が止まる、ような気がする)

ほれぼれしながら側面を見る。ほれぼれする。
時間が止まるようだ。

なぜ、1穴の穴あけ器が欲しかったのは、
これから思い出そう。考えよう。時間が止まるなら、時間はある。



おやすみなさい
(良い週末を)

----------------------------




| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.4「フセン幻想という保険」

こんばんは。
(今日は、腕を肩の上よりあげましたか?)



自宅の引き出しの中には、ポストイットだけが入っている引き出しがある。ポストイットは商品名だから、日本ふうに「付箋」というべきだろう。3M社ではないものも一杯あるから。フセンだらけの引き出しはチョイと不思議な雰囲気がある。

(たまる付箋。いろいろな形。いろいろな色)

付箋はなかなか減らない。理由は簡単だ…そんなに使わないからである。使わない割には買ってしまう。だからたまる。

(僕は付箋は、なんのために買うのだろうか?)

きっと、付箋があると、仕事が進む幻想にとりつかれているのだ。付箋のたくさん張られた本、またはノートというのは、とても動的で魅力的だ、生きている感じがする。そこに僕は価値を見いだす。その魅力には成功の匂いを感じる。

(うなぎ屋さんの匂いで、食べた気になる)

でも、それは幻想なのだ。僕は仕事で取りこぼしたコト、埋められないコト、万が一のコトを付箋で埋めようとしている。僕にとってはフセンは仕事の「保険」なのだ。

今日も、付箋を何枚か張った。

僕ほ引き出しは保険でいっぱいだ。
「付箋がいっぱいの引き出し」というのも、また、僕の心の保険なのだ。

好きな色はイエローです。


お休みなさい
(明日は土曜だね)




| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.3「コーヒーに隠れる」

こんばんは。
(今日は机の上を拭きましたか?)


僕はコーヒーが好きです。ほぼ、毎日飲む。お茶はいろいろ好きだけど、コーヒーが一番かな。コーヒーの持つ苦みや酸味が好きだ。苦くて酸味のある飲み物というのは他には、なかなかない。大人の飲み物だと思う。お酒もタバコもダメな僕はコーヒーを飲む時間は、唯一の大人になれる(と思う)時なのだ。

コーヒー好きか、と聞かれれば、もちろん胸を張って「はい」といいたところだが、それは本当にコーヒー好きの方々に失礼な気がする。なぜなら、僕は豆に詳しい訳でもないし、味について判断できる味覚もないし、こだわりもない。

そして、時にはとっても安い豆のコーヒーもよく飲む。安い豆のを我慢して飲むというよりも、これはこれでアリだと思いながら気楽に飲む。または少し高価な豆をゆっくりと味わうのも嬉しいひとときだ。

いろんなコーヒーが好きだ。インスタントコーヒーでカフェオレも作るのも好きだ。パックで売られているコーヒー牛乳も好きだ。こういった姿勢で「コーヒーが好きです」というのは、どうも気が引ける。だから、コーヒー好きですか?と聞かれるとどうも、「はい!」と胸を晴れない。でも、コーヒーはとても好き。でも、その想いは胸の奥に隠して、暖めておこう。秘かな想いというのもコーヒーらしくていいな、と思う。

(嬉しい時、悲しい時…そばにコーヒーの香りがあったような気がする)。



おやすみなさい
(クリーニングを利用しておきませんか)


----------------------

| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.2「アヒルと二段ベッド」

こんばんは。
(今日はお昼は休めましたか?)



一段目は誰もいない二段ベッドの上でスヤスヤ寝ていると、アヒルが下のほうで「ガァガァ」と鳴いていた。僕はうるさく感じたので、アヒルにむかって「うるさいよ」と言ってみた。でも、アヒルは僕の言葉がわからないようで、僕のほうを見ながら、さらにガァガァ鳴いている。うるさい。うるさい。

困ったなぁ、と思ってA3サイズほどの画用紙にマジックで「鳴くのダメ」と書いて、見せてみた(立体感を出すために腕を前に出したり後ろに引いたりした)。

アヒルは鳴くのを止めた。不思議そうに画用紙を眺めていたが、45秒くらい経過するとまた「ガァガァ」と鳴いている。画用紙をアヒルに見せる姿勢で腕が疲れた。

しょうがないので、枕元にあった携帯電話で、インターネットブラウザーを立ち上げて、適当な検索エンジンで、「アヒル 鳴く 止める」で検索した。しかし、ヒットはするものに役に立つ情報はなかった。アヒルの広告がいくつか出てきた。

困った。困った。どうするか。無視はできない。音が大きすぎる。

○×ゲームでアヒルと勝負して、決めようかと思ったが、ルールを説明するのが難しいし、僕が負ける可能性があるので止めることにした。○×ゲームに必勝法はないのである。

(どうにもならない事態というのは生きていると多くある)

いや、思いとおりになるような機会のほうがずっと少ないと思う。自由に生きていると思いながら、実はまったく不自由ではないか。不自由なことのほうが実は圧倒的に多い。でも、時には休暇を1日とっただけで、とっても自由と感じることもあるし。連休なのに不自由さを感じることがある。

(自由か不自由かは自分が決めること。自分だけが決められること)

僕は、耳栓を買うことにした。ネットで注文したら2日で届いた。いつもながら耳栓の入るパッケージが大きかったが中身は小さかった。

耳栓をしたり、ヘッドフォンをして問題を解決した、解決してないって?
しているよ。そう考えればいい。

 

 

僕は2段ベッドは持ってません。
その他のことも嘘です。

おやすみなさい。
(寝ながらラジオ聴く?)

------------------------------






























| | TrackBack (0)

毎日の字間 2013.010.1「省略で失われるもの」

こんばんは。
(今日はコンビニによりましたか?)

寒いので、ひとつ意見でも書こうか。
僕は基本的に名称は省略しないほうが好きである。

具体的には僕は「スターバックス」を「スタバ」と省略をしない。「スタバに行こう」ではなく、「スターバックスに行こう」と言う、または書く。多分、僕の中ではこの2つは違うものだという認識がある。

「スターバックス」と「スタバ」は違うものなのだ。省略する、という過程の中で失われるものがあるのと僕は感じている。だから、モッタイないので、ケチな僕は「スタバ」と言わず「スターバックス」と言って、損をしなかった自分に安心する。省略を悪とは言わない。でも、なにかが違うのだと思う。なにかが無くならないの??

(スターバックスに行く自分と、スタバに行く自分は恐らく違う自分。)

そんなの、ただの気のせいでしょう、という考えもあるかと思う。そうかもしれない。でも、考えてほしい。もし「スターバックス」が商号変更して「スタバ」になってしまったら、何か「違う」と思わないだろうか?なにかが失われていないだろうか?商号変更しなくても、ただ「スタバ」と言い合うだけで、も何かが欠けていかないだろうか。

(知らないうちに、失われるものについて僕が考える)

良い夜を。
(自宅でホットビズ実行中)

| | TrackBack (0)

« September 2013 | Main | November 2013 »